『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(32)岡山県立大学・定年・退官を迎えた山下明美さんからの“お誘い”

 

わが社ビートップツーのはじめての仕事、大手のプラネタリウム会社の社史作りには、
グラフィックデザイナーは彼女しかないと、金沢在住のデザイナーで後輩の山下明美さんにお願いした。
スポンサーは東京、編集作業も東京、懇意にしていた印刷会社は大阪、デザイナーは金沢だというのも
難しいと思ったが、ネット社会の可能性を試みたいという思いもありスタートした。
2年はかかったが、スポンサーから喜ばれ、ご褒美に日経BP社のデジタル・パブリッシング・グランプリの
部門大賞を頂いた。このプロジェクトを美酒で飾れたのは嬉しかった。
(『野次喜多本』より抜粋)

彼女はフリーのデザイン事務所経営前は、名古屋のブラザー工業で私の下で
ブラザーのCIプロジェクトに参加、マニュアル等作成してもらっていた。


   

その後、彼女は岡山県立大学デザイン学部に迎えられ、造形デザイン学科の教授になり、
この3月に目出度く定年・退官した。この月は送別会など計画されているので、
半年前の夏休み前後に、岡山に遊びに来ないかとの誘いがあり、昨年10月の連休に出向いた。

学校は岡山市近郊の総社市(そうじゃし)にあるが、彼女は住処を倉敷に決め毎日通勤しているというので、
初日は白壁の街並みが美しい倉敷市内を案内してもらい、有名な大原美術館など見て回った。
翌日は総社市の岡山県立大学デザイン学部を表敬訪問。
そこで、彼女のご友人で金美の実習助手時代のご同僚から、家庭で眠っているブラザーミシンの寄贈を受け、
「良かったらどうですか」というので、3月引っ越し時にもらうことを約束して帰った。

半世紀以上前のブラザーミシンでブラザーロゴも珍しくグラフィックデザインの歴史を思い出したりした。

この送ってもらったミシンを使って、「新型コロナウイルス」対策の一つとしての、
“手作りマスクつくり”に役立った。思えば、昔は、各家庭で手縫い、手作りで、マスクを作っていたし、
少し能率を求めるとミシンを使っていた。
隣近所のおばあちゃんの作った手縫い、手作りマスクが好評だという話を耳にし、
時には「新型コロナウイルス」対策の一つとして、「手作り文化」を見直す
柔軟な頭脳が今求められていることを再認識した。

山下明美さんのご友人のミシン寄贈から「新型コロナウイルス対策」という話にそれたが、
彼女の人柄が、ブラザーミシンの寄贈までつながったことは間違いなく、
私は昔の職場仲間の退官祝いを昨秋大学近くの倉敷でできたのは本当にラッキー、
“ちょっといい話”になった。今なら何もできない。
(喜多謙一)

※注: 元来我国を「手の国」と呼んでよいくらいだと思います。国民の手の器用さは誰も気付くところであります。
手という文字をどんなに沢山用いているかを見てもよく分かります。「上手」とか「下手」とかいう言葉は、直ちに手の技を語ります。「手堅い」とか「手並みがよい」とか、「手柄を立てる」とか、「手本にする」とか皆手に因んだ言い方であります。 柳宗悦 著『民芸40年』岩波文庫より

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