技術の進歩は、旬まで奪う?

“新米”が懇意にしている農家の友人から届いた。
今夜は手巻き寿司で、新米を味わう贅沢を楽しみたい、
ワインもいいだろうと。
ところが、旬(野菜・魚など最も味のよい時期、最盛期)の
新米がおいしいのは10年ほど前までで、なくなってしまった。

米つくりの技術の進歩のおかげで、
技術は季節感、旬まで奪ってしまった。
いつでもおいしいお米が食べられるのである。
改めて新米は旬でなくなってしまった。
というのは、昔は新米と古米の味の差がありすぎたので、
新米は貴重そのもの、友人と少しづつ分け合って
頂いたものだからだ。

旧暦の今頃は、後の出替わりといって、
奉公人の雇い期限が切れる日だった。
昔は半年ごとに入れ替わり、新たに来た者は新参、
残ったものは古参と。
せっかく奉公しても半年でサヨナラという具合に、
新参、古参と分けていたという。

今でいう転職の自由度もあったと言い、
マンネリ化をも防いでいたのだろう。

デザイナーの世界には、新参、古参という言い方はないが、
時にはマンネリ化を防ぐ意味で、
各自、自己啓発的に半年を振り返り新たな目標を見つけ
チャレンジする9月にしたい、時には旧暦の歴史にも学びたい。

 
(喜多謙一)

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