『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(9)ぬかりや 章さん

 

「私も生か死かということでは、偶然に、いかされた人間かもしれません。
毎日の時間を大切に、画を描くことにしています。」
デザイナー仲間の「神奈川デザイン機構」発足時からの友人
ぬかりや章さんのことをこの本の中に書いた。
彼の東京芸大での友人、同期生、画家の星野鐵之さんも
横浜空襲に合っているという、その彼のことを
ぬかりや章さんが下記のようにコメントしている。
( 星野鐵之回顧展 2018.4.28-5.13 )

星野さんのこころ

いま、実に軽薄短慮になりつつあることを、彼、星野鐵之は
50年も前、気がついていたように思えてなりません。
中学、高校の時、もう既に彼自身の「言語」を持ち、
ただ、それを大切にするだけでなく、人生をかけて磨いて、
更に自分のものとして高みをめざして創りあげてきたと考えます。

寡黙な彼は、そのことをあえて人に語らず、
「かたち・いろ」を必要以上に追いかけず、
彼の「こころ」で描き続けた
完成度の高い饒舌な仕事を数多く残しました。
私達は、その「魂の叫び」を再度よく見て、
読み取らなければなりません。

 朝野学園同期生 ぬかりや 章

 (絵画  山手風景 1964年)

この絵画一枚では彼を理解しにくいので、
ぬかりや章さんから聞いたちょっとした小話を紹介したい。

芥川賞受賞作家・藤沢 周(藤沢周平ではない)の受け売りですが、
ある小学校で、先生が氷の固まりを手にもって、
これが解けたら何になる?と子供たちに尋ねました。
ほとんどすべての子供が、はーい、水になります。と答えました。
正解です。しかし、ある一人の子が、はーい、春が来ます。と答えました。

ただ、これだけの話ですが。これに星野さんは大変感動して、
どこの小学校だろうね、どんな先生かな。
別れるまで何回も言っていました。

このことは、彼が如何に地球上の新羅万象を先入観をもたず、多感に
「純粋なこころ」でとらえていたか。生前の星野さんの人となりを、
ぬかりや章さんが鮮明に覚えているそうです。

(喜多謙一) 

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