「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生をもうけ、滅せぬもののあるべきか」
織田信長
3月11日、22、000人以上が命を落とした東日本大震災の発生から15年の日を迎えた。この1月1日は、私の郷里に近い能登半島地震も2年目を過ぎたばかりだったから、何とも滅入る日が続く“日本列島”。
何かいいことあるだろうか!!!
『健康へんろ』 この本をプロデュースしたことから、年賀状かわりに昔の仲間に、この本を送ったところ、下記のような礼状が届いた。
本の礼状の織田信長の愛したお香(信長の愛した香木・・・)ボールペン?
彼は、昔、48か所まで旅したが卒寿(90歳)になった今は、ほそぼそと、庭仕事を少しやっているだけで“本の如く健康が宝です”と、お体大切にとあった。
彼は、愛知県清州市の住民で名古屋市の職場には、定年迄通っていて、“清州城”は、織田信長、親子が住んでいたお城だと話していたが、私は30年近く名古屋に住んでいたが、清州市は“名古屋から近すぎてか”訪れていない。今は、いつの日か訪ねてみたいと思っている。
というのは、清須市は、鎌倉街道*と伊勢街道が交わる交通の要所として栄えた地域で、当時、織田信長が“天下人になる”には、最も適した地域だったと礼状を頂き再認識した。
本題に戻ろう、一日7000歩キープ・・・、鎌倉市内を散歩していると旧道、「鎌倉街道」の標識が目に入ることあり、ここが、鎌倉幕府の幹線道路網だったのかと驚くと同時に、織田信長も全国制覇のスタート点が愛知県清州市、鎌倉街道と伊勢街道が交わる交通の要所だったことを知り”鎌倉散歩“も楽しくなってきた。今話題の日曜の夜、NHKテレビ「秀吉兄弟!」も見てみよう。
2026.3.16 喜多謙一『健康へんろ』プロデューサー
幹線道路網
註)鎌倉街道:鎌倉時代に鎌倉と諸国を結んだ中世の幹線道路網
伊勢街道:伊勢神宮への参拝道として整備された街道。


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