―能登半島地震―『ちょっといい話』

1月1日、元旦、鎌倉は穏やかに初春日和を迎えていた。
私は庭に出て、この小さな庭をぼんやり眺めていた。ふとメールの音で驚いた。
能登半島地震の第一報が、中国に出張中の友人から、「大丈夫ですか」との問いに
面食らった。家人に聞くとかなり大きな地震があったらしいという。

生まれは能登半島の手前、金沢市近くのかほく市だからなおさら身に染みた。

直ぐに、金沢の妹や義兄、友人に問い合わせたら、庭の灯篭が倒れたくらいで“大丈夫”
というから少し安心したが、学生時代、バイトで金沢NHK放送局でニュースのテロップ
(白黒テレビ時代、ニュースの文字は細い筆で書く)制作に携わっていたこともあり、
当時は、“38豪雪(昭和38年、1963年)” 等、大雪のニュースが多く、
地震など一つもない時代だったので、何が何だかわからない、テレビ、新聞報道を見続けた。

死者200名以上 行方不明100人以上・・・‥

近隣に育った私にできることは何かと、日々、迷い、自問自答、考え続けていると、
昨日、友人から下記のような提案、申し出が来た。

喜多さんのご親戚や知人の皆様は地震の被害は大丈夫ですか。
毎日の生活にご不便をしておられる方はありませんか。

お困りの方がおいででしたら、ライフラインの回復まで、まだ売却がない名古屋近郊の家を
つかって頂くことを考えてみましょうか。今、家屋内は道具も何もなく、全くの空き家状態ですが。
車をお持ちの方なら日々の生活は即可能です。

民間・友人からの提案は、『ちょっといい話』で嬉しく、掲載させていただいた。
身近な友人で困ってる人、ありませんか?

2024. 1. 15 喜多謙一

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