友人に支えられての20年

会社を立ち上げて10日目に、あの阪神大震災が起こった。
テレビの画面を見ながら先行き真っ暗になった、20年前のことを
昨日のように覚えている。
前の会社を立ち上げて5年、赤字続きの部門を何とかしたいと
「力んで再スタート」しただけに、重しが頭にのっかかっていた。
仕事になるなら何でもこなそうと、PR用のCDの制作も手掛けた。
昔の仲間が発注してくれたのに、助けられた。一つ転がると、
なんとか次の仕事に繋ぎ、今日の20年後があったように思う。

従って、会社を立ち上げる若人には、いつも10年、20年、頑張れよと
言い続けている。その中でいろいろなことがあっても、健康であれば
大概なことはクリアーできると、そう、自信がつくものである。
健康といえば、暮の12月31日夜遅く、オーストラリアから帰国した。
何と、長男の3人の子供がインフルエンザにかかり、年末の家族旅行の
キャンセル寸前で、その「ピンチヒッター」として女房と2人、半日のうちに
ETAS・ビザ入手、名義変更し、彼と3人で25日から31日までオーストラリア、
ゴールドコースト、バカンスに行ってきた。
夏を満喫して帰国、元旦、鎌倉は鶴岡八幡宮、雪の舞う中参拝、
生まれて初めての経験をした。
オーストラリアから帰宅すると、名古屋の友人から本が届いていて、
見ると題名は『人生の長期予報はむずかしい』
その通り、誰もインフルエンザに3人ともかかると予想もしていなく、
私たちも「ピンチヒッター」でオーストラリアに行くとは考えても見なかったのだから
『人生の長期予報はむずかしい』のである。
でも、それを乗り越えるところに人生の面白さが待っているのだと、自負。
加齢にして初めての経験、「体力が試されたバカンス」だったが、
これも健康のお蔭と私。口のいい友人は、
「余禄の海外旅行、いいことありそうな年です」とエールをくれた。
20年の余禄か・・・やはり、友人はありがたい。
(喜多謙一)
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