熾火(2)


 私の好きな漢字のひとつ“熾火”(21th エメラルド会展・出品作品)

熾火・おきび(赤く熱した炭火の意)と読む、慣れない漢字をタイトルにして、2回目、何を書こうと、悩む日々が続く。

ある日、この言葉を私の人生に当てはめると、どの部分になるのだろうと、漠然と考える。
コロナ禍、渡航が難しいからか、直ぐに外国が浮かぶ。生まれて初めて訪れた国、フランスのことが一番に、2番目は英国、3番目にして米国、メキシコと続く。

1976年3月、当時、航空機事故史上最大の惨事が、フランス・パリ郊外のエルムノンビル森に起きました。
345人全員死亡。邦人客42名の中に、会社の上司にあたる後藤さんの息子さんが入ってみえました。

悲しみの続く後日、「本箱の中の仏壇つくりを手伝ってくれませんか」と後藤さんから依頼され・・・
工業デザインナーとして製品デザインは手掛けていても、仏壇のデザインはしたことはありません。
頼まれた以上、「やってみます」と引き受けましたが、全く、何の経験もありませんでしたが、
若さも手伝い無我夢中にお手伝いさせてもらいました。

    

この本箱の中の仏像の背の部分、ケヤキの木をノミで彫りました。(ノミは飛騨高山に行った時に買い求めたもので丸のみ2本。)
大理石の飾り部分は図面を描き、岐阜県の石工加工会社で作成してもらい、死苦八苦、
お手伝いしているうちに、あの3月 1周忌が、ご遺族の方はパリに向かわれるツアー計画が立てられていましたので、
貯金もないのに「現場をこの目で見たい」と、友人にお金を借りてご遺族のツアーに入れてもらい、
パリ郊外の法要に行きました。生まれて初めての海外がパリになりました。

後日、法要の様子を下記のように綴りました。

ここパリ郊外のエルムノンビルの森に祭壇を設け、日本から手にした菊の花を祭壇に備え、同行してもらっていたお坊さんによって1周期の法要が始まりました、皆それぞれ、1年前のあの悲しみをかみしめていました。

突然、一人のご遺族の女の方が土の上に転倒されたんです。病気で倒れられたと思い、手を差しのべようと歩みかけました。ところが、その女の方は、息子さんらしい名前を呼び、土を、草を抱擁され――― 最愛の我が子を、自分の胸にしっかりと抱かれているのです。大地を抱かれているお母さんを見て、動くことは出来ませんでした。

世の中にこんなに悲しいことがあっていいのだろうか。その悲しみを、私は、私の涙の中にはっきり見た思いでした。
1年前の今日、この大地に永眠された345名の尊い命を、もはや悪夢としてみることが出来ない自分に気がつきました。 もう筆にすることは出来ません。

     
          1997年 『頼まれる歓び』 抜粋

   

私の好きな漢字のひとつ“熾火”(21th エメラルド会展・出品作品)を彫りながら、45年前の仏像の背の部分、
ケヤキの木を彫ったことを思いだし、考えようによれば私の人生に当てはめると、あの頃がデザイナーとしての私の「熾火」だったかもしれません。
コロナ禍は、こんなことまで思い出させてくれ、苦笑しながら、あの同じ、3月を迎えました。
(喜多謙一)

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