『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(34)森繁久彌さん全著作(森繁久彌コレクション・全5巻)完結

 

 

戦後の映画、演劇を牽引(けんびき)。
大衆芸能の分野で初の、文化勲章受章した俳優の森繁久彌さんとの出会いは、「友友会」。
その長老が、何と、森繁久彌さんだった。
大正生まれの人たちで作った、伝統ある銀座のこの会も、
「そろそろ、昭和生まれを入れないと継続できない」という訳で入会を許された。
伝統ある会とは、何をする会だろうと思っていた私は、参加した初日、ただ、美味しいものをいただき、
しばし歓談しながら、楽しい時間を過ごすという会だと分かり、大いに気に入った。
(『野次喜多本』より抜粋)

昨年の10月から全著作森繁久彌コレクションが、1巻づつ、刊行された。(単行本、随筆23冊分)
1冊目は「道」自伝からである。

亡くなられてから10年経っているが、私には待ちに待った本で、久しぶりにかぶりついて読み始めた。
というのは、「友友会」でお会いしたのは年譜に見る限り、文化勲章受章後だから人生の後半である。

ご子息の、森繁 健さんが「父のこと」と最終本に書いているのを見ると、
「辞書は『辞海』『広辞苑』以外、普通の人が購入しない辞書等が多くあり、毎日、本は数冊、
新聞7-8紙、雑誌も数多く読んで無類の「好奇心」から「吸収力」の持ち主だった」と記している。

一方、森繁久彌さんは、
「親父として嬉しかったことは、倅も娘もただのサラリーマンと平凡な妻になったことだ。
その言い分は「どうせ、一生懸命やっても、あれは森繁の子だがおやじより上手くはなりそうでない」など、
それはゴメンだとシャッポをぬいで世襲をケ飛ばした利口さか」・・・と記している。
(政治家・タレント、親の世襲ばやりの時代に、この壮挙・素晴らしい親子に脱帽)

また、文化勲章受章(78歳)した時には、
「考えれば私の人生の前半は、云うなれば若い日の、森繁などは何のクソにもならぬ男だった。
なくていい25年程を引くと、私はまだ50台だ。しっかり大地に足をつけて、
少しでもこの道の発展のために尽くさねばなるまい」と結んでいる。
(受賞は78歳、1年前に奥様に先立たれた悲しみを込めての弁。男、森繁の生きざまに、ここでも脱帽。)

実に、96歳までご活躍された森繁久彌さんとは、数回お会いしただけだが、
先月、私も、傘寿、加齢を迎え、彼の後半の日々が、手に取るように分かるようになったから、
この全集は当分私の宝物と、“ちょっといい話”になった。

追伸: 読後、出版元の藤原書店に「森繁さんの全体像が見渡せる試みに感激、感謝のみです」と、
短い感想文を送ったら、同社PR誌『機』に掲載されていました。

(喜多謙一)
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