「ふるさとは遠くにありて思うもの そして悲しくうたふもの」(室生犀星 注)
縁あって、7月7日、8日と能登・珠洲市 に行ってきた。
昨年1月1日の能登地震で大きな被害のあった地区で、
私の生まれた、かほく市(金沢市近郊)とは100キロ以上は離れているが
私の“第1のふるさと”である。
東京組のボランティア活動の一人として参加、昨年暮れに上梓した『健康へんろ』 本をテキストに、著者の眞下 清さんの 健康談義と、余興に彼がハーモニカを吹くイベント。
何と能登半島地震発生後、この7月で19か月経過しても、未だ自宅に帰れず仮設住宅住まいを続けられている住民の多さ、その彼らのためのイベントが82回も続いている、その現実を見て来た。裏方・世話人スタッフの“継続は力なり”には、頭が下がりました。
名古屋の会社仲間の女性からは、「私は子供のころ鹿児島なので台風には何度もあい、水害にあい1週間ぐらい避難生活したことがありますが、大変だったことを覚えています。その何倍も何日も…能登での毎日が続いている・・・」 喜多さん”応援“頑張ってくださいと、エールがあった。(珠洲通信 クリックで拡大します)
PS。
実は、能登に出かける前の7月1日、2日と私の“第2のふるさと”、名古屋に行ってきた。学校卒業後、実に30年来の友「船戸利明さんの遺作展」が名古屋市近郊・阿久比町に7月1日から20日まで開催しますと、奥様からお便りをいただいたので、初日お邪魔した。
彼とは、名古屋の同じ職場で机を並べ、若い時は、両家族で能登半島にもキャンプに行ったりした仲、奥様から、「昨年の8月に肺がんで亡くなり、遺品を整理していくうちに、生前描いていた作品を皆様に見てもらい、気に入った作品があればご購入していただき、その売り上げを能登半島地震の被災地復興支援金として寄付できればと思いました」 と、はがきを頂き、ただ、唯、感激、心傷みました。
“遺作展”最終日の前の日、水彩画完売しましたと嬉しい便りが届き、奥様の温かいお気持ちが、愛好者に伝わったのだと知り、 何と、この7月は、私にとっては、第1、第2ふるさとの“人情に酔う月”になった。感謝、感激、感謝です。
2025.7.28 喜多謙一
注。室生犀星(むろうさいせい) 詩人・小説家。金沢市生まれ、北原白秋・荻原朔太郎らと交わり、抒情詩人、後に小説に転じる。