コンサルタント日記

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(30)鎌倉彫の大家 大和義文さんと鎌倉国宝館「北斎と肉筆浮世絵」展巡り。
鎌倉彫の大家のひとりで、神奈川デザイン機構(1990年代)の理事仲間として知り合い、大和さんは逗子にお住まいで、隣の鎌倉の私はご近所付き合いをさせて頂いている。大和さんは、日常使う鎌倉彫の器類も制作されているが、…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(29)デザインの恩師 平野拓夫さんからの年賀状
大学では、徹夜で作品を仕上げるベーシックデザイン(基礎的なデザイン)の 技法などを平野先生から教わった。 ある時、師は学校の食堂の前でジュースを飲んでみえた。 通りがけに、「君も飲む」と言って一本のジュースをいた…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(28)師の一本のお電話 柳 宗理(やなぎ むねみち)さん
1964年、東京五輪の年の4月に、名古屋のブラザーに就職が決まっていたので、 10月の東京五輪はテレビでしか見れないと思い、工事中の現場でも見たいと、 師の柳先生におねだりしたところ、快くお電話してくれ、労を執…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(27)南雲治嘉さん
南雲さんは、グラフィックデザイナー、大学の先生、デザイン事務所経営、 それに物書きと実に幅広く活躍している大学の後輩である。 (『野次喜多本』より抜粋) 先月の26日、弊社での「BIBI会」※と恒例の…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(26)藤村盛造さん
私は大学で空手部に入部。一つ上の藤村さんに、いろいろと面倒を見てもらった。 彼の下宿が私の外泊のはじめの宿になったから、印象が深いのでその話を出すと、 「そんなことあったっけ?」覚えていないという。 (『野…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(25)金子喬俊さん
生れは群馬県だが、山紫水明の岐阜に縁あって住みついたという金子さんは、 福沢諭吉の大ファンで、もちろん慶應を出ているし、 先日も浜松町(大門)のわが社に寄られた時、 福沢諭吉がこのあたりに住んでいたと捜し歩…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(24)斎藤昭子さん
斎藤さんは、東京は有楽町で毎夏開催している「エメラルド展」の常連の洋画家であり、学校は私の先輩である。 画業は半世紀を超える大ベテランだが、余暇に「弓道」をはじめ今は四段、20年やっていると聞いてびっくり。 (…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(23)上原さんの奥方にアドバイス貰い、私も“バイク運転諦め”自転車に。
3月になると必ず上原さんのことを思い出す、と同時に、 松本にご仏前として“鎌倉の鳩サブレー”を贈る。 彼は美大卒業後、名古屋近くで自動車のデザイナーになったが、 直ぐに、脱サラし、郷里で研究所を創業、自動車…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(22)“鑑真大和上日中文化交流展”の裏方、プロフェッサー 景 嶺(けいれい)さん
景 嶺 さんは、 上海の企画会社の社長、中国語、日本語ペラペラ、英語もこなせる凄いビジネス・ウーマンである。 (『野次喜多本』より抜粋) “鑑真大和上日中文化交流展”は、6月2…

『野次喜多本』登場人物の新たな“ちょっといい話”(21)少作昭二さん92歳、誕生日の“食”
脱サラ・会社作って、経理のわかる人を、ということで、義兄の少作昭二さんに立ち上げから非常勤で手伝いをお願いした。今から思うと実に乱暴で、彼が67歳の時から経営に参加してもらったが、2015年12月、わが社ビー…